新たな出会い

僕は今、日本リスク研究学会の第21回講演会に来ている。
28−30日の予定でこっちに滞在しているのだが、やはり思いついたら実行!この学会に来て、そして何から何まで参加してやると思って、本当に良かった。
新たな出会いがいっぱいあった。僕の知らない世界の人たち。それぞれ、信念を持って行動しておられる。僕はどうやら、ぬるくなってしまっていたらしい。今の僕の状況は、すごいね、がんばってるね、勉強できるね、だ。そんなこと自分では微塵も思っていないのに。僕だっていろいろと挫折してきた人間で、自分の頭は自分が良くわかっている。
「井上君、頭いいってよく言われるでしょ」と言われた。僕はぜんぜん納得できないので「はい」って言った。どうぞ講演会の俺のプレゼンでツッコミを入れまくってください。っていう意思表示。
何でこんなこと言うかって、周りの人たちのレベルの高さだった。お酒を飲んだってその理解・発信レベルが変わらない。どうゆーことだよ。むしろそのレベルは高くなってるんじゃないかってくらい。ああ、とりあえず何とかしようとか思ってなくて、本気で何かしてやろうって思ってる人たちだった。僕はなよなよだ。
僕は学生で、何でも言えて、なんだってできて、それが許されてきた。でもその人たちは、どこまでが限界で、どこが問題で、何をしなきゃいけないか、その裏にはこういう構造があって、…僕の立場の軽さに再度はっとさせられた。僕は重みをわかっていない。発言の重み、研究の波及効果。
僕がこれではいけないと思っているDecaBDEの軽々しい代替の現状だって、中小企業がその代替の費用がベラボーに高い(金型の代替とか調査の費用とか)のでだめだ、なんていっつも主張しているけど、今日言われた「本当に中小企業の人たちのことを考えたことがあるのか」というお叱りがあった。「そんなこと軽々しく言うもんじゃない」と。「自分の体も、奥さんも、家も、すべてをかけて中小企業の社長さんはがんばっているんだ」と。「今東京で投身自殺している人たちは、その賭けをいい方向に持っていけなかった人たちなんだ」と。愕然ですよね、俺は正しいことを言っているのだけど、軽いのだと。そのとおりです。軽かったのです。年齢的には若いのに、どうやら上から見るくせがついていたらしい。本当に俺が見なきゃいけない現実をひとつの出来事のように捉えていた。違うんだ。
僕らは制度の名前を知っている。どういう風な規制なのかを知っている。でも、どうしてその制度ができたのか、それによってどんなことが起こっているのか、よく知らない。それに対し、彼らは本当に良く知っているし、何が悪いのか、よくわかっている。僕はぜんぜん知らない。スタートにも立てない。
その人たちは本当に勉強をしていたのだろう。僕はそれを知らない。僕と同じ年代にどれくらい勉強したのか。置くべき僕の基準はそこにある。現在の学生の中でどれくらいやってるとか、どれくらい集中してとか関係ない。その人たちが、同期に負けたくないと思ってどれだけ集中して、どれだけがんばってきたのか知らないが、本当はその人たちの残像と戦わなきゃ。
僕は量との勝負をしていると思う。現在。そうじゃない、質との勝負をしないといけない。研究内容にしてもそうだが、研究生活にしてもそうだ。満足を得ている僕がだめだったようだ。
そんなこんなでぬるぬるの生活だったようだ。忘れていた。僕が何をしたいのか。それによってどんな効果を生み出したいのか。
本当に感じれる人たちは違った。そして、その人たちが明日、僕のプレゼンを見に来る。いや、今日。その人たちだけじゃない、ほかの人たちも続々と集まる勢いだ。たぶん、その時間帯でブレインたちが集まるのはうちのセッションなのではと思ってきた。いや〜えらいことになるな、こりゃ。あの〜これ卒論なんですけど、コレ。僕は修論内容があるんですけど。これ以上たたき上げるとなると、どうしましょう。卒論が修論の中に入ってくる???
要旨集で勉強をちゃんとしないと。ほかの人たちは、俺の要旨集をこれでもか、って感じで読み込んでくれたみたい。たぶん理解できないですよ、俺の要旨集。だって難しいもん、俺の内容。妄想だから。
よーし、いざ戦場へ。泣かないくらいにいじめられてこよっと。