科学技術をめぐる論争とフレーミング
Web上でたまたま見つけたのでここに紹介する。
科学技術のガバナンス〜科学技術社会論の視点から〜 平川 秀幸
http://www.n.t.u-tokyo.ac.jp/gcoe/shiminkouza/docs/hirakawa.pdf
ここに面白いスライドがいくつか掲載されていた。
北海道で2006年1月から施行されている「北海道GM条例」には多くのアクター(利害関係者)が存在する。そこに,フレーミングを持ち込まないと,どうにも収拾できない。
- スライド12 フレーミングの社会性
GM作物といえば,欧州と米国の政策の比較がよく行われる。米国は「守るべき野生の自然は農地からはるか遠いところ」であり,「農業の工業化は当然である」と考えている。それに対し欧州は「農地と自然環境は地続きであり,農地も自然の一部」であり,また世論は「過度な農業の工業化に対する懐疑的」な姿勢を持っている。
これらはつまり,「GM作物の環境影響の評価対象を,農地の農業生態系にとって重大なものに限るか,野生生態系まで含めるか?」の違いを表しているとのこと。
- スライド13 GM作物の環境リスク評価の対立
政府や欧州食品安全委員会はGM作物は環境影響が小さいとしてリスク評価結果を公表しているのに対し,環境保護団体や消費者団体,小規模農民集団はGM作物の環境リスクは大きいものと評価している。
これらはつまり,フレーミングの違いによって生じているものと考えられる。
- スライド17 アクター間の連携とフレーミング: 同床異夢の重要性
フレーミングの仕方次第で,アクターは,対立することもあれば,連携することもありうる。
- スライド19 まとめ:科学技術ガバナンスの課題
「実験社会(Experimental Society)」への移行(=これはつまり,対象リスクの不確実さや規模の大きさを重要視して予防的な対応をするのではなく,順応的に対処する(多少の失敗は次の成功につながるという考え方)社会でなくてはならないと言っていると受け取った)
このあたりの議論は尽きないところだけれど,面白い。特に自身が「リスク評価」を用いて「管理」につなげたい場合はなおさらだ。